英霊・顕彰

多家神社 陸軍幼年学校 慰霊碑

碑文名
慰霊
建立日
平成25年4月 陸軍幼年学校同窓生  
英霊
陸軍幼年学校卒業戦没者
解説

多家神社は埃宮(えのみや)とも呼ばれ、神武天皇東征の折、お立ち寄りになられた所とされ、古事記によると七年坐すと書かれている。 また平安時代の「延喜式」に厳島神社、速谷神社とともに安芸国の名神大社三社として多家神社の名が記されている。
そのような神社の拝殿左手前に碑はある。慰霊碑は、昭和15年11月10日に陸軍幼年学校職員生徒が、皇紀2600年を記念して建てた碑を上に載せた形になっている。 左側の碑文には「明治天皇の聖旨により明治三十年に廣島市基町に開校し昭和三年軍縮のため 一旦廃校となったが昭和十一年再興爾来昭和二十年に至るまで三千三百四十五名の将校生徒を育成した  これら同窓生は国軍の楨幹(さだみき)として皆克く邦家の守護の重責に任じその間多くの廣幼関係者が戦陣に斃れた  原爆の却火に耐えた肇國神社の石柱發見を機として戦没者に慰霊の誠を捧げるためここに碑を建立する」とある。

アクセス

府中町役場より県道272号線を北東に600m。鳥居北側の車用参道を登ると駐車スペースあり。
広電バス2号府中山田線「府中埃宮」200m。

地図