- 碑文名
- 慰霊碑・合葬墓23基(詳細はこちら) 個人墓碑3,533基 ほか外国人墓碑
- 建立日
- 明治5年(昭和35年再建)
- 英霊
- 柱数 未確定
- 解説
比治山には明治5年に陸軍墓地が設置され、以来西南の役より大東亜戦争までの英霊の墓石約4,500基が、この山の各所に存在していた。 その後、昭和19年より、墓石の整理統合の工事が始まったが、原爆及び台風災害の為、作業は中断し、墓石・遺骨は散乱放置される という惨状を呈した。しかし昭和35年に岩田日出子女史らの尽力により、現在の位置に再建された。
現在は墓石3,533基が沖縄県を除く出身各県別に安置されているが、残りの墓石・遺骨については 未だ所在不明であり、それらの英霊の無念を思うと残念でならない。その他、死んでもラッパを放さなかった事で有名な木口小平氏を含む広島第十一歩兵連隊や 台湾出身兵等の慰霊碑・合葬墓が23基ある。 墓地奥手からは南区一帯が一望でき、英霊が旅立っていかれた宇品港も見える。
以前、大阪の小学校の修学旅行の一団が参拝していた。引率の教師によると、放射能影響研究所とからめて 毎年参拝しているとの事であった。
令和元年に老朽化した礼拝堂が撤去され、入り口が綺麗になった。- アクセス
広島電鉄路面電車「比治山下」下車。比治山公園内にある放射能影響研究所 南側裏手。近くに忠魂墓碑もある。 駐車スペースあり。
- 地図