英霊・顕彰

小野 四十七のみたま碑

碑文名
四十七のみたま
建立日
昭和50年春 建立
英霊
47柱
解説

成羽川の谷から細道を上がっていくと、急に開けた高原の小野集落が現れる。その中のライスセンター裏手、元中学校があったとされる場所に碑はある。 台座部分に明治27年から昭和22年までの47柱の御英霊の御名前と散華された年月と場所が刻まれている。 裏側には「わが国は明治の中ごろから富国強兵に端を発し清国露国と戦い昭和に至って世界制覇を目指し世界列強国を相手に武力抗争に突入した郷土出身の諸兄は国を守るという大義のもとに戦いに参加し大陸の山野に南海の島々にそして太平洋上に転戦して不幸にも四十七人の尊い命が戦場の華と散ったこのような悲劇を再び繰り返さないことを願い戦友の永遠の冥福を祈ってこれを建てる」と記されている。
いままで様々な碑文を見てきたが、「日本が世界制覇を目指した」とする碑文はこの一つだけである。 戦友とされる方の碑文ではあるが、これは占領軍による「日本は悪いことをしたから負けた。国民は政府や軍部に騙された。」とするウォーギルトインフォメーションプログラムによる洗脳の結果だと思われ、 散華された御英霊は、この碑文に果たして満足されているのか疑問である。
ここから成羽川を挟んだ対岸の高地にも、小野と同じような新坂集落があり、「追悼之碑」という慰霊碑がある。

アクセス

東城町中心部の国道314号線「友末交差点」より福山方面に6.4km、「小野」の看板のあるところの橋を渡り山道を3.2km。駐車スペースあり。

地図