英霊・顕彰

新坂 石神社 追悼之碑

碑文名
追悼之碑
建立日
昭和60年8月 建立
英霊
旧新坂村出身戦没者:96柱
解説

県北有数の観光地・帝釈峡の近くの、山の頂付近に広がる新坂集落にある石神社の拝殿右手に碑はある。 今は高原に10件前後の家があるだけで周囲とは隔絶された感もある集落であるが、 碑の建立のための寄付者約300名の名前が裏側に刻んである事や、廃校となった小学校の立派な木造校舎が残っている事から、 昭和の頃は相当数の人が住んでいたようである。
碑の前面の銘の下に、明治10年西南の役 田原坂から昭和24年ハバロフスク病院まで、96柱の御英霊の御名前と階級、散華された年月と場所が刻まれている。 このうち昭和19年以降に散華された方が53柱と半数以上を占めている。 またニューギニアの同じ場所で昭和17年末からの3か月で、この集落から8柱もの御英霊が散華されているのもわかる。
当時の新坂村は現在の東城町部分も含め現在よりも広かったようであるが、小さな山村から、かくも多くの御英霊が散華されたことに驚きと感謝の気持ちでいっぱいになる。
ここから成羽川を挟んだ対岸の高地にも、新坂と同じような小野集落があり、「四十七のみたま」という慰霊碑がある。

アクセス

東城町中心部の国道314号線と県道25号線と交差点「友末交差点」より帝釈峡方面に4.2kmのY字路を南に左折、3.7km先のT字路を右折し2.7km。「休暇村帝釈峡」からの道や、成羽川から上がる道はどれも狭隘。駐車スペースあり。

地図