英霊・顕彰

陸軍砲兵曹長の碑

碑文名
報国
建立日
明治40年7月21日 
英霊
陸軍砲兵曹長 渡辺(?)只一氏
解説

氏は明治37年徒歩砲兵第四連隊に入り、同年8月曹長になるも、翌38年3月10日に奉天方面で散華された。 碑の前面に氏の勲功を称える漢文(下記)が書いてある。
碑は県道広島三次線とJR芸備線の間の細い土地に、他の方の頌徳碑と並んで建っており、高さは2mを越す大きなものだが 正面に掘られた碑文はその古さから読みづらくなっている部分がある。
 
 

渡邊只一君孝謹(?)伊三郎君其三男也明治三十七年日露之役以○○伍長被○
亜墓砲兵隊編入徒歩砲兵第四連隊同年八月○征途○軍中以功進曹長翌年
三月十日戦死依戦功叙七○授賜金○勲章汲勲七等青色桐黄章
当時中隊長原田種○氏吊詞曰君出征以來○渉満州之泥濘荒野以○因○強
行軍至海城韓戦○堡遼陽沙河会戦八家○三家子○○頑強以敵奉天附近
奮戦撃砕堅固沙河之防禦進三月十日奉天之東北方於毛家氏極優勢之與敵
交砲○○至肉薄敵以白兵潙格闘此際君勇戦激闘指揮能其分○終被○○○
○○○○名誉死去○噫此弔詞足窺以勲功之偉大○
○同胞三一萬曰得高枕安眠者曰戦捷○慶○其餘慶○君○忠死之遺○也○
○遺兄光之賜君建碑嘱○○余余○○○○能満其雫固有○君師○之○所以
○○○○也銘曰
殺○成仁 可謂忠○ 以顕祖先 可謂孝今 忠孝両全 其與生○
明治四十年七月二十一日                明徳尊○○書

アクセス

県道広島三次線を広島市から北上し、吉田別れ交差点を過ぎて4.0㌔行った右手にある。
JR芸備線吉田口を下車、駅前の県道を広島方面に1.1㌔。

地図