英霊・顕彰

蒲刈町 日高神社 忠魂碑及び慰霊碑

碑文名
忠魂碑  慰霊碑
建立日
忠魂碑 昭和3年3月10日 昭和31年9月25日軍恩連盟蒲刈分会再建  慰霊碑 平成元年7月 大浦区
英霊
忠魂碑 78柱  慰霊碑 日露~大東亜戦争:79柱 訓練死:2柱 動員学徒10柱
解説

忠魂碑の台座には御英霊のお名前が刻まれているが、同じ苗字の方が5~6名続いているのが多々見られ、兄弟親類同士の場合も多いものと推測される。 碑の傍らに入魂略記と書かれた碑があり、それによると昭和3年に日露戦争などで散華された御英霊を祀るため建立されたが、 大東亜戦争終戦後の占領軍の愛国的思想の根絶を目的とした慰霊・弔魂的行為の禁止の影響で碑は荒廃した。しかし昭和27年に講和条約が締結され 禁止が解けると、元軍人の方々がかつての戦友の慰霊を行おうと思い、 それに賛同する地域の住民とともに昭和31年に大東亜戦争で散華された御英霊も合祀する形で忠魂碑を再建したとある。この文面を見ると 占領者による徹底的な思想弾圧の恐ろしさと、それに負けず元軍人だけでなく地域住民が一丸となって再建した事に対する日本人の根の強さを感じる。 なおこの入魂略記碑も平成13年の芸予地震で倒壊し平成16年に地元有志により再建されている。 慰霊碑は日露戦役紀念碑と北清役紀念碑の挟まれる形で建っており、裏側には忠魂碑に刻まれた御英霊を含めた91名の方のお名前が刻んである。
大浦集落の北の海岸沿いに鳥居とお社があるが、これは日高神社の境内社の春日神社で、日高神社は左わきの参道階段を登ったところにある。 忠魂碑と慰霊碑はその参道の途中にあり、木々に囲まれたところにひっそりと建っている。

アクセス

県道287号線と356号線との分岐より2.2km。神社前に駐車スペースあり。階段以外に碑や日高神社に登る参拝用道路もあるが狭隘で集落の中を通るのでお勧めしない。
瀬戸内産交バス 中国労災病院 沖友天満宮線「大浦」100m。

地図