- 碑文名
- 第6号潜水艇殉難之碑
- 建立日
- 昭和34年4月13日
- 英霊
- 佐久間勉大尉以下乗員14柱
- 解説
*写真の説明
2枚目 殉難碑に取り付けられた遺書
3枚目 街を見下ろす殉難碑第6潜水艇は明治39年、我が国で初めて建造された57トンの潜水艇であったが、 明治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖で訓練中、事故のため沈没した。
佐久間艇長以下14人の乗組員は各自、最期まで持ち場を守り、従容として死を迎えた。 特に佐久間艇長は苦しい状況の中で遺書を残し、将来の潜水艦発展のために、沈没の原因および沈没後の処置をしるし、 さらに部下の遺族への配慮を望むなど、死に直面してもいささかも冷静さを失わなかった。 そしてその崇高な使命感は、国内はもとより海外の人々にも深い感銘を与えた。 歌人の与謝野晶子は「海底の 水の明かりに したためし 永き別れの ますら男の文」と追悼の歌を読み、またアメリカ国会議事堂にも 艇長の遺書が原文のまま陳列されたという。
大正元年、その遺徳を永久に記念するため、この鯛乃宮神社境内に碑が建立されたが、終戦と共に碑は荒廃し、 引き上げられ保存されていた潜水艇も、進駐軍の命により解体された。
しかし、昭和34年、殉難50周年を期に、高さ19メートルの壮麗な碑が再建され、 あわせて潜水艇のスクリュー他も碑の中に保存された。 また碑の側面には佐久間艇長の遺書がレリーフとしてはめ込れた。
大きな碑は呉市内を見下ろすように建っており、毎年4月15日には盛大に慰霊式典が行なわれる。- アクセス
JR呉線「呉」950m。広電バス三条二河宝町線「三条4丁目」200m。
周辺は道が狭く一方通行もある。また神社に駐車スペースはない。- 地図