- 碑文名
- 忠魂碑 慰霊
- 建立日
- 忠魂碑 昭和3年11月 建立 慰霊碑 令和2年5月 宜山遺族会建立
- 英霊
- 160柱(広島県遺族会ホームページ参照)
- 解説
細い道の行き止りのところに神社がある。 周辺立地から鄙びた神社を予想していたが、赤い柱の神門・拝殿や参集殿が境内にある大きな神社であった。 実際、この神社は江戸時代は水野勝成などの備後領主が毎年参拝しており、 また本神社に参拝後に日清・日露戦争に出征した兵士は弾が当たらなかったことから、 「弾除けの神」として戦時中は崇められたそうである。そんな神社の参道右側の広場に忠魂碑は立っている。 御英霊に関することを示したものはなかったが、建立年から推測するにシベリア出兵までに散華された御英霊を祀っているものと思われる。 また碑の前には終戦75年を記念して地元遺族会により建立された小さな慰霊碑もある。こちらは支那事変・大東亜戦争で散華された御英霊を祀っているものと思われる。
- アクセス
県道396号線路肩「大蔵神社」石柱を南に入り350m。駐車場あり。
- 地図